沖縄を発つ

2008年02月02日

最後の荷物のモノフィンを車に積んで、いよいよ沖縄を発つ日となった。お世話になった会社に立ち寄り、上司と仲間に挨拶をして那覇新港へと向かう。レンガ色の港湾合同庁舎を久々に見ると、職務で幾度となく通った思い出が蘇る。懐かしいな。苦労はあったが充実していた日々でもあったのではないだろうか。

19時30分に那覇新港を出航して、名古屋経由で翌々日の22時20分に大阪南港へ入港するクルーズフェリー飛龍21へ車と共に乗船する。出航1時間前に部署は違うが、職場の友人が彼女と一緒に見送りに来てくれる。彼とは短い付き合いだったが、もっと早く知り合っていて、もっと一緒に海に行けていたらよかったと思う。

携帯に着信があり応答すると「有村産業ですけど、今どこにおられますか。車を載せてないのはお宅だけで係員が待っているのですけど」と催促される。慌てて岸壁に向かうも道が意外と分りづらい。行き止まりのフェンスに突き当たったりしながら飛龍21を目指す。こっちこっちと誘導されながら無事に乗船完了。想像以上に船は古い。

沖縄を引き上げると決めてからあえて車を購入したのは、沖縄で生活していた証しになにか記念に持って帰りたいと考えていたからで、それで思いついたのが「沖縄ナンバー」である。沖縄ナンバーの車を大阪で乗りたい。沖縄で大阪ナンバーの車は珍しくはないが、沖縄ナンバーの車を大阪ではそうは見かけない。そんな家財道具満載の愛車は、後方の視界が全く見通せない。助手席にも荷物を積み上げているので、左のドアミラーも身を乗り出して覗き込まないと見えない。運転席周りを固められて装甲車にでも乗っているかのようだ。これで大阪の阪神高速環状線はこわいな。

那覇新港 乗船を待つ沖縄ナンバーのジムニー


乗船するとレセプションがあり、乗船券を提示すると部屋へと案内してくれる。部屋は2等のツーリストキャビンで、2段ベッドが3台ある6人部屋に案内される。先客はいないので窓際の1段目のベッドに荷物を置き、場所を確保してとりあえずビールを買いに行く。ビールを買って部屋へ戻ると僕の隣のベッドに荷物が置いてある。後客が来たようだ。しかし、6人部屋で二人なのにわざわざ隣のベッドに来なくてもいいのにと思っていると、その客が戻ってきた。同じようにビールを持っている。目が合うとどちらからでもなく会釈して、よろしくお願いします。と挨拶を交わす。すると、その客が船会社からお宅が最後だから急ぐようにと携帯に電話があって、岸壁に向かう道にも迷ってあせりましたよ。と切り出したので思わず笑ってしまった。とりあえず乾杯だ。なかなかフレンドリーな好青年だし、狭いキャビンでの同室、旅の道連れだ。仲良くやろう。


簡単に自己紹介をして、この船旅の目的を聞くと彼も大阪の出身で車に家財道具を積んで、大阪に引き上げるところだそうだ。沖縄で飲食の店を出したくてリサーチを兼ねて沖縄に移住したらしいが、なかなか思っていた以上に難しく、人間関係で精神的にも参ったので、ここはひとまず撤収と言うことで、5ヶ月で彼の沖縄移住生活は終わった。しかし、沖縄での出店は諦めていないらしく、大阪でもっと計画を練り直してから出直すそうだ。彼は料理も出来てレコードも回せるらしい。酒はそれほど詳しくないので、大阪では酒の業販の会社に就職が決まっているので、そこで勉強すると言っていた。夢を実現さそうとする情熱があるなと感じた。ぜひ頑張ってほしい。

2等ツーリストキャビン まずまず快適な空間だ


船の揺れはそれほど気にはならないが、2等客室の油染みた臭いが鼻をつく。煙突の近くだから仕方ないのか。しかし、レキオホールという大広間が開放されていて、船客は7~8人ほどしかいてないので、PCで音楽を聴きながらのんびりくつろげる。船内はひっそりしていてあまり人を見かけない。デッキへ出ると風が凄まじい。船首が波頭を切り裂き、高く舞った波しぶきが風にあおられてデッキへ降り注ぐ。空は厚い曇で覆われて、鉛色の海が広がっている。どのあたりを航行しているのだろうか。

2等客室の後ろはコンテナ


老人憩いの場!?


レキオホール 誰も来ない


船上での生活は単調で退屈だ。食事もレストランが常にオープンしているわけではない。朝食が8時から8時30分、昼食が12時から13時、夕食は18時から19時までで、それぞれ1時間前に食券が発売される。事前に食券を購入しておかないとレストランが開いてるからといって、いきなり入っても食事にはありつけない。その注意の船内放送が何度が繰り返される。食事の時間帯もまるで病院か老人ホームだ。暇だからビールばかり飲んでいる。誰かから船内のビールは安いはず、と聞いていたが、確かにキリン一番搾りが150円と格安だ。しかし、免税ビールなので石垣~台湾航路でしか買うことが出来ない。ああ残念。仕方なく発泡酒(250円)を買う。

免税ビール


乗船して翌々日の午前7時前にようやく名古屋港へ入港する。出航は10:30なので、いったん下船すると吐く息も白くとても寒い。沖縄の風による寒さと違い、身を刺すような寒さで体の芯から冷える。那覇-名古屋間が36時間足らずなのに、名古屋-大阪間は11時間以上かかる。船は予定より少し早めに名古屋港を出航した。天気も良いので、デッキに出てみると飛龍21の左舷前方に海上自衛隊の護衛艦が見える。このまま行けばミートしそうだ。が、よく見ると速度は護衛艦の方がはるかに速い。護衛艦は余裕で飛龍21の船首を横切り、向きを変る。その護衛艦の前にもう1隻の護衛艦が航行している。そして、飛龍21の後方からもう1隻の護衛艦が針路をこちらに向けている。護衛艦を前方に2隻と後方に1隻と従えた艦隊のようだ。そういえば、飛龍(飛竜)はミッドウェー海戦で活躍した航空母艦だったと記憶している。確認出来た艦番号「158」と「3513」で検索すと、あさぎり型護衛艦の「うみぎり」と、はつゆき型護衛艦の練習艦「しまゆき」のようだ。どちらも呉が定係港なので、呉に帰るのだろうか。

50時間以上の船旅も終わり、大阪南港へと入港する。そして、船の着岸とともに3年と6月の長い旅は終わりました。それと同時にこのブログもここで一旦終了します。今までありがとうございました。

船首を横切るDD-158


哨戒ヘリを搭載している


すぐ後ろにはTV-3513 ちなみにTVはTraining Vesselの略




  

Posted by 群青 at 14:55

フリーダイバー 篠宮龍三 スライドトークライブ

2008年01月23日

沖縄を拠点に活躍する日本のトップフリーダイバー
篠宮龍三さんが下記の日程でトークイベントを行います。
彼の海に対する熱い思い。そして、フリーダイビングの魅力を
存分に語ってくれることでしょう。
コーディネーターを努めるアーストリップ代表の中村圭一郎さんも
アドベンチャースピリットに溢れる熱い方です。

フリーダイビングの魅力
~世界の海へ潜る理由~ 


【日時】 2008年2月3日(日)
     19時開演(受付時間18時45分)
     20時半閉演
【場所】 沖縄民間観光案内所「アーストリップ」
【入場料】1500円
 イベント入場料、ドリンク、スナック、資料代、粗品
【人数】限定25名様
【申込み】電話098-857-6545
    「アーストリップ」朝9時~19時まで

http://www.earthtrip.jp/script/?mode=ShopEvent&cate_no=2
  

Posted by 群青 at 00:37フリーダイビング

履けない島ぞーり

2008年01月22日

職場でも送別会を行ってもらい、いよいよ沖縄を離れるのだなあと実感してきた。早いもので沖縄での生活も3年と6月が過ぎた。僕が沖縄に移住できたのも現在の会社に就職が決まったからだった。そして、いったん退職をしたのに、まだ沖縄に居るなら復職をしないかと声をかけて頂き、新たな部署で1年間仕事をさせていただいた。フリーダイビングの練習で午前中は海に行き、遅刻して午後から出社。なんていう日もあった。迷惑をかけた同僚と復職の機会や遅刻を認めてくれた上司には改めて感謝したい。
皆様、ありがとうございました。

この送別会は新年会でもあるので、人は結構集まってくる。19時に始まって、翌5時まで。一軒の居酒屋で定額制の飲み放題、食べ放題だ。オーダーストップは3時30分で追加料金は一切なし。普通なら2時間ぐらいで追い出されてもおかしくないのに沖縄の居酒屋はすごい。僕は1時ごろに失礼したが、オーダーストップがかかっても、最後の数名は5時までゆんたくしていたそうだ。これまたすごい。

職場のみんなからいろいろと記念品を戴いたが、この島ぞーりにはまいった。手彫りである。「海人」ではなく「海男」というのがいい。「うみいきが」と読むそうだ。フリーダイバーのロングフィンのしなり具合もばっちりだ。片手で鼻を摘んでの潜行スタイルも実にリアルではないか。職場ではあまりフリーダイビングの話はしなかったのに、とても驚いたし、嬉しかった。仕事以外では常に島ぞーりだし、以前新品の島ぞーりを食堂で履いて行かれて裸足で帰ったことがあったが、これなら履いて行かれないだろう。でも脱いだらちょっと恥ずかしいかも。いや、もったいなくて履けないな。


大城陶房のカラカラ、泡盛の古酒をちびりちびりと飲みたくなる。

  

Posted by 群青 at 18:39日記

糸満のおじさん

2008年01月18日

僕があまり詳しく書くことではないので簡単に。久々にうみぼーずさんに会って興味深い話を聞かせてもらった。

彼は沖縄を離れるときアイランドホッピングをしながら、約1ヶ月の旅をした。そして、立ち寄った島のひとつに奄美がある。その奄美で伝説の素潜り漁師、故鶴耀一郎さんのお宅にも行った。

鶴耀一郎さんは既にお亡くなりになっておられるが、夫人は健在で大そうな歓迎を受けたそうだ。鶴さんは、数々の伝説的な武勇伝を持つ素潜り漁師だっただけに、夫人からは貴重な話が伺えたようだ。このあたりの話は、追々うみぼーずさんが自身のブログで書かれると思うので楽しみにしたい。

うみぼーずさんの奄美での話を聞いていて気になったのが、「糸満のおじさん」という存在だ。糸満のおじさんは鼓膜がないのでタバコの煙が耳からも出るそうだ。今となっては笑い話のようだが、当時の糸満の海人は潜りに生死をかけていた。

鶴さんが寄稿した小島敦夫編「海-生きる、学ぶ、探る」の中で、糸満潜りの親方の子供の兄弟が登場する。彼ら兄弟は南西諸島の海を潜りつくして北へ流れてきた。そして、兄弟はあまりにも漁の腕が良いので、まわりの漁師からやきもちをやかれ、夜のうちに船を沈められたり、いろいろな嫌がらせにあい北上して奄美にたどり着いた。

そんな凄腕の兄弟からは、世の中には化け物がいる。鶴さんみたいにしつこくて、またよく魚を知っていて、深く潜れる人間がこの世にいるとは思わなかった。と、言わしめた。そして、鶴さんはこの生来の海人たちの飾り気のない言葉がうれしかった。とある。

耳からタバコの煙を出す糸満のおじさんが、この糸満潜りの兄弟だろう。
兄弟でご健在なのだろうか。いつか奄美に行ってみたいと思った。

鶴さんが素潜りで仕留めたロウニンアジ 小島敦夫編「海-生きる、学ぶ、探る」より


  

Posted by 群青 at 09:02

素潜りDay~沖縄生活、最後の海

2008年01月14日

真鶴からうみぼーずさんがやって来た。彼とは、僕が沖縄移住への下見旅行の時に真栄田で知り合って以来の付き合いで、移住後の週末という週末は一緒に海に行き、沖縄の海のポイントをいろいろと教えてもらった海の師匠といっても言い過ぎではない。また彼のジャック・マイヨールや鶴耀一郎に対する思いや、海に赴くスタイルには大いに刺激を受け感化された。そんな彼が沖縄での3年の生活を終えて、2006年4月に本土へ帰った。そして約2年ぶりに一緒に素潜りに行く。

砂辺
5日間の日程で沖縄にやって来て、まず初日は砂辺である。今年の初潜りは真栄田だったが、この日は砂辺初潜りである。1月にしては暑いくらいの陽気だ。護岸の拡張工事も進み、立派になった防波堤から海を眺めると、これまた1月にしては珍しくベタ凪である。クジラの鳴き声ももう聴こえるかなあと言いながら、穏やかな海へエントリーする。水深15~6mで漂って耳を澄ませば、かなり遠いがホエールソングが聴こえてくる。もうザトウクジラも慶良間海域に来ているようだ。

ホーシュー(万座毛)
この日は、気温25度、風は南東で夏のようだ。真栄田も凪いでいるが、これなら万座にも入れる。糸満から高速で恩名村へと向かう。釣り小屋直下のホーシュー北からエントリーする。海はベタ凪だが平日とあってダイバーは全くいてない。万座毛直下の洞窟に入ったり、ホエールソングに耳を澄ませて楽しんでいるのも束の間で、このあと沖縄の海で人生最大の恐怖を体験することとなる。この日は、デジカメの水中ハウジングを忘れたので水中写真が無いのは残念である。

海は穏やかだが、沖には・・・




  
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Posted by 群青 at 08:05