糸満のおじさん
2008年01月18日
僕があまり詳しく書くことではないので簡単に。久々にうみぼーずさんに会って興味深い話を聞かせてもらった。
彼は沖縄を離れるときアイランドホッピングをしながら、約1ヶ月の旅をした。そして、立ち寄った島のひとつに奄美がある。その奄美で伝説の素潜り漁師、故鶴耀一郎さんのお宅にも行った。
鶴耀一郎さんは既にお亡くなりになっておられるが、夫人は健在で大そうな歓迎を受けたそうだ。鶴さんは、数々の伝説的な武勇伝を持つ素潜り漁師だっただけに、夫人からは貴重な話が伺えたようだ。このあたりの話は、追々うみぼーずさんが自身のブログで書かれると思うので楽しみにしたい。
うみぼーずさんの奄美での話を聞いていて気になったのが、「糸満のおじさん」という存在だ。糸満のおじさんは鼓膜がないのでタバコの煙が耳からも出るそうだ。今となっては笑い話のようだが、当時の糸満の海人は潜りに生死をかけていた。
鶴さんが寄稿した小島敦夫編「海-生きる、学ぶ、探る」の中で、糸満潜りの親方の子供の兄弟が登場する。彼ら兄弟は南西諸島の海を潜りつくして北へ流れてきた。そして、兄弟はあまりにも漁の腕が良いので、まわりの漁師からやきもちをやかれ、夜のうちに船を沈められたり、いろいろな嫌がらせにあい北上して奄美にたどり着いた。
そんな凄腕の兄弟からは、世の中には化け物がいる。鶴さんみたいにしつこくて、またよく魚を知っていて、深く潜れる人間がこの世にいるとは思わなかった。と、言わしめた。そして、鶴さんはこの生来の海人たちの飾り気のない言葉がうれしかった。とある。
耳からタバコの煙を出す糸満のおじさんが、この糸満潜りの兄弟だろう。
兄弟でご健在なのだろうか。いつか奄美に行ってみたいと思った。
鶴さんが素潜りで仕留めたロウニンアジ 小島敦夫編「海-生きる、学ぶ、探る」より
彼は沖縄を離れるときアイランドホッピングをしながら、約1ヶ月の旅をした。そして、立ち寄った島のひとつに奄美がある。その奄美で伝説の素潜り漁師、故鶴耀一郎さんのお宅にも行った。
鶴耀一郎さんは既にお亡くなりになっておられるが、夫人は健在で大そうな歓迎を受けたそうだ。鶴さんは、数々の伝説的な武勇伝を持つ素潜り漁師だっただけに、夫人からは貴重な話が伺えたようだ。このあたりの話は、追々うみぼーずさんが自身のブログで書かれると思うので楽しみにしたい。
うみぼーずさんの奄美での話を聞いていて気になったのが、「糸満のおじさん」という存在だ。糸満のおじさんは鼓膜がないのでタバコの煙が耳からも出るそうだ。今となっては笑い話のようだが、当時の糸満の海人は潜りに生死をかけていた。
鶴さんが寄稿した小島敦夫編「海-生きる、学ぶ、探る」の中で、糸満潜りの親方の子供の兄弟が登場する。彼ら兄弟は南西諸島の海を潜りつくして北へ流れてきた。そして、兄弟はあまりにも漁の腕が良いので、まわりの漁師からやきもちをやかれ、夜のうちに船を沈められたり、いろいろな嫌がらせにあい北上して奄美にたどり着いた。
そんな凄腕の兄弟からは、世の中には化け物がいる。鶴さんみたいにしつこくて、またよく魚を知っていて、深く潜れる人間がこの世にいるとは思わなかった。と、言わしめた。そして、鶴さんはこの生来の海人たちの飾り気のない言葉がうれしかった。とある。
耳からタバコの煙を出す糸満のおじさんが、この糸満潜りの兄弟だろう。
兄弟でご健在なのだろうか。いつか奄美に行ってみたいと思った。
鶴さんが素潜りで仕留めたロウニンアジ 小島敦夫編「海-生きる、学ぶ、探る」より
Posted by 群青 at 09:02
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